1985年生まれ 今年で34歳
現在、某飲食系企業に勤務。
30歳、経験ゼロからミュージシャンになるという、途方もない計画を企てる。
現在、人生で学んだことと音楽に関することをこのブログで発信しつつ、脱サラを目指す。
⇒追記:2018年内脱サラ済み
趣味:カラオケ、登山、自転車、素潜り、漆器作り、お酒、グルメ、旅行、ギター
性格:スケベ。基本 陽キャラ。普段クールだが飲むと脱ぐ。通称ネイキッド
必殺技:シャツ破り
[きんたまぱんだ(きんぱん)]
私の中にいる全知全能の存在。
神の近くにいるのでなんでも知ってる。
ダメ人間な私にアドバイスをくれる。
↖こいつね。
まあこのブログでは きんぱんの助言を聞いて私が書いているので、私=きんぱんと思って頂いて差し支えない。
もくじ
どこの馬の骨ですか?
茨城の田舎で生まれ、レタスとかんぴょうと白菜とキャベツしかない畑地帯でのびのびと育つ。
いつしか野球にのめり込み、自分はプロ野球選手になる!ということを信じて疑わなかった。
しかし世の中そう甘くはない。
高校生になる頃、どんなに努力しても、自分よりうまい人なんか掃いて捨てるほどいるという現実を突きつけられ、いつしかプロになる ということも口にしなくなった。
そう、私は ”平凡” だったのである。
その時きんぱん少年は知ってしまったのだ。努力しても叶わない夢はあると。
初めて味わった挫折だった。
その後、きんぱん少年は持ち前の集中力と飲み込みの速さを武器に、現役で某国立大学に合格する。
母の心から喜ぶ顔が本当に誇らしかった。桜の花びらが舞う 暖かい春の日の思い出である。
きんぱん少年は自信を取り戻した。
大学では準硬式野球部の主将にもなり、ゼミ長にもなった。バイト先の個人の寿司屋で、2号店をやらないか?とまで言ってもらえた。
やればできる!もう何も怖いものはない そう思っていた。
2号店の話も魅力的だったが、きんぱん青年は某大手飲食系の会社への就職を決めた。そう、これが今の勤め先だ。
今思えば、なんでチャレンジしなかったんだろうと思う。
しかし、そこに決めたのにも自分なりの考えがあった。
将来、人を動かしてでかい事業をやりたい。人を動かすノウハウを学ぶなら、もってこいであろうという考えである。
当初は、5年くらいで課長クラスまで昇進し、そのあたりで独立しちゃおーって安易に考えてた。
でもね。。。そう、そんなに甘くないんですよ
飲食はキツい。
まあ私もバカじゃないんで、それくらいは分かった上で決めたつもりだった。
でも、知識で知ってるのと、身をもって経験するのとではわけが違う。
夜中でも平気で電話は鳴る。1日着信が100件とかザラだ。あとはバイトが金盗む、クソ客が因縁つけて金を取ろうとする、2週間家に帰れない、同じパンツと靴下を1週間履き続ける、深夜のバイトがバックレて呼び出される、矛盾した上からの指示。。。。。などなど
それでも希望を持ち続け、なんとか這い上がろうとした。
でも、一向に好転する気配は無かった。
31歳になるころ、とうとう限界を迎えた。
いつもと変わらない朝だったが、突然えも言えぬ恐怖に襲われ、布団から出れなくなったのだ。
当たり前だが時間になっても出勤しない私の携帯は鳴り続ける。
バイブレーションの音を聞くのもキツいので、サイレントにした。なぜかオフにする気にはならなかった。
バックレてしまった経験がない人にはわからないと思うが、携帯を見るのが恐怖なのである。見れば着歴は真っ赤っ赤。
何日も部屋に隠れ続けた。昼も夜もなく、寝た。何も考えられず、ただ もうダメだとだけ分かった。
この辺りが、『きん的プロフィール』の話である。
音楽との出会い
話は少しさかのぼって、仕事をバックレる2年ほど前のころである。
上でも話したように、それはそれは荒れ果てた生活をしていた。
しかし、人ってけっこう、仲間がいれば苦しくても耐えられるもので、当時の私の部下くんが大きな存在だった。
バカリズムに似てるのでズムと呼ぶことにしよう。
きんぱん青年とズムはなぜだか波長が合うというか、初対面の時からやたらと気が合った。
毎日毎日、私の担当エリアでは何かしらの問題が発生していたが、ズムと協力してなんとか乗り切っていた。
部下ではあるが、同じ釜の飯を食うどころか、しょっちゅうスーパー銭湯も行ったし、狭い臭い事務室で川の字で寝たことすらある。なぜか急に仕事が空いたので、突発温泉旅行をしたことまであるほどの仲である。
彼女か!
(私は断じてゲイではない。ズムにはちゃんと彼女いたし。ゲイじゃないよ!ゲイではないんだからね!)
で ある時から、きんぱん青年とズムはカラオケに行くようになった。
ズムと最も多くの時間を過ごしたのは、カラオケである。
毎日夜中まで仕事なのに、いつそんな時間があったかって?
寝ないでいくのである。
日によって変わるが、だいたい 23時ごろ退勤⇒居酒屋で軽く飲む⇒カラオケ行く。この時点で1時とか⇒朝6時まで歌いちぎる⇒スーパー銭湯でちょっと寝る⇒昼前に出勤
このパターンだ。
歌が全てを忘れさせてくれた。
これだけが、自分を解放できる場所だったのだ。
ズムは歌が上手かった。私も負けじと、研究した。
自分なりに研究して、歌って、調べて、試して もはや仕事なんかそっちのけで、歌に没頭した。
そうしているうちに、きんぱん青年は誰よりも歌が上手くなっていた。
だんだん周りにも、きんぱんとカラオケ行きたいとかきんぱんの歌が聴きたいとかって言ってくれる人も現れだした。
上手く歌ったり、踊ったり 脱いだり パフォーマンスをやると、みんなが喜んでくれる。
感動してくれたり、腹抱えて笑ったり、時にはちょっとエッチになったりする。
人を喜ばせたり、楽しませたりすることができると知ったきんぱん青年は、いつしかぼんやりと思うようになった。
「歌でずっと生きていけたらいいなあ・・・」
しかし、厳しい社会のうねりの中で、そんな淡い希望はどこかへ流され、見えなくなった。
新しい自分へ
そして時は流れ、話は31歳、きんぱん青年がバックレた時点に戻る。
あの時抱いた、淡い希望は忘れかけていた。
きんぱん青年は会社の恩情で長期休暇をもらった。
旅をしてみた。
三原山の火口は、ニュースにはなっていないが 自殺者がけっこう多いらしい。自殺願望がある人は、その火口に引き寄せられるらしい。
「あー おれも引き寄せられて死ぬのか、生かされるのかどっちかだなあ。」
平日の三原山なんてほとんど人がいない。
ボケーっと火口の周囲を歩いていたら、いつの間にか後ろを歩いていた男の人に声をかけられた。
「旅行ですか?」
「あ、ええ。まあそんなところです。」
「どうして大島に?」
「実は。。。私、仕事バックレちゃったんです」
「そうか。苦労したんだねえ。」
そんな感じの会話をした。
その人は学校の先生で、自身も鬱病になったことがあるらしい。
久しぶりの会話でなんだか嬉しくて、これまでの経緯をたくさん話した。
そして、あの言葉を言ってくれた。
「大丈夫。その場所でダメだったら、出ていけばいい。島だって生きていけるさ。人生を良くしたいなら、行動することだ。」
どうやら私は生かされたようだ。
火口に引き寄せられずに、その人しかいなかったのに、そのタイミングで 出会ったんだから。
偶然とは思えないじゃないか。
きっと「お前の使命を全うしろ(神)」ということだろう。
生き方が270度変わった。
きんぱん青年は考えた。
「自分がやるべきことは何だろう?なんの資格も技術もないおれにできることがあるのか?」
・・・・。
「ある! そうだ歌があるじゃないか!おれには人を感動させたり、楽しませることができる。それこそ我が使命!」
やるべきことは決まった。
このまま同じ生き方をしていても一生変わらない。レールから降りよう。自分の価値を決められないラットレースなんざ、オサラバだ!
そこから、なぜだかものすごいエネルギーが湧いてきて、とにかく本読んで、勉強して、歌った。
このまま先があるかもわからないレールに乗っかって生きるくらいなら、好きな事をやってやろうじゃねえか。
どうせチャレンジするなら、てっぺんだ。横浜スタジアムでライブしてやるぜ。
1か月ちょっと経ったあと、新しく配属された部署に顔を出したきんぱん青年は 別人だった。
もう他人と比べて落ち込んだりしない。他人の価値観で生きない。自分自身の人生を生きよう。
ボイトレを始め、いい先生に出会えた。
パートナーとなる、ギター野郎も見つけた。もう学ぶことが楽しくて仕方がないのだ!
自分の人生の全てに責任を取り、いま、私は挑戦しています。
もう30過ぎてるけど、ミュージシャンになる。
本気でやったらどこまで行けるのか、これは人生をかけた実験です。
ウソをつきたくないんでありのままを話すと、まだ自分の手で1円たりとも稼いでいません。
今は、自分の価値をどうやってマネタイズするのか、勉強と実験をしている段階です。
⇒追記:2018年7月 ささやかながら自分の活動で収入を頂くことができました。感謝です。
なのでまだ、どうやったら稼げるよ!とかっていう話はぜんぜんできないですけど、今も毎日成長してるんで、今できる話をどんどんしていきます。
うまくいったらそのやり方もシェアしていこうと思います。
このブログは、夢をあきらめてしまった人、日々の仕事で忙殺され、やりたいことができないでいる人、自分らしく生きられないで苦しんでる人。。。そんなあなたに読んでほしい。
問題を解決するやり方や考え方、その基本的な部分は何の分野でも共通すると思います。
音楽を通じてではありますけど、私が数々の問題をクリアする、成長していく全プロセスを公開することで、何かしらの気づきを得てほしいのです。
心がズタズタになっても、そこからまた立ち上がることができた私の経験を伝えられると思うから。
このブログを読んで、一人でも参考にしてくれたり、勇気が出る人がいたら、存在する価値があると思っています。
私があなたの実験台になり、あなたが良き人生を歩むきっかけになる。
私は人生をかけた実験を成功させ、自らの希望を達成する。
これがわたしのミッションです。